伝聞記によれば、生立ちは西暦1500年代(関が原の合戦前)と言われる。
香東川の支流である楠川(御坊川)が海にそそぐこの地は
「岩浜」と呼ばれ、近郷の 人達から親しまれた。
土手沿いには立派な松並木があり、この松は往時の名残り松
と言われている。
西方には花畑が広がり(花園町名の由来)、
代々の城主や家老の
別荘があった。
なかでも狩り好きの第五代高松藩主松平ョ恭候は、
帰りにしばしば この地に立寄り、
松を愛でながら水を汲み、休息したと言う。
その際、御付きの者が
前もって来て
当家の主ともども周辺の手入れをし、たいそう気を遣ったそうです。
当時清い涌き水が出た井戸は、現在松の下に井筒だけが残っている。
幾多の戦火や松喰虫の被害をまぬがれ、
500年以上この地にどっかと根を張り、
時代を見つめてきた。
専門家によれば、栗林公園以外でこれほどの松には
もはやお目にかかれないと言う。